ヨガとナワラトゥナ(ナヴァラトナ)

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こんにちは、Nityaニティア・スタッフのchieです。

 

 

ここのブログでも、「ナワラトゥナ(ナヴァラトナ)の星と宝石の本を作りたい」と度々話しているのですが、本を作ることは本当に大変なこと。

そこで、焦らずゆっくりと徐々に本になっていけば良いなと思っているのですが、最近もうワンステップを踏もうと小冊子を作る計画を立てています。

 

 

そんな中で、ナワラトゥナ(ナヴァラトナ)の事やそれにまつわる様々な事を小冊子を作るメンバーと話しているうちに、ヨガについてブログにもっと綴っておきたいと思いました。

 

 

 

 

以前にもヨガとナワラトゥナ(ナヴァラトナ)についてはブログに綴っているのですが、その際には、最近とっても身近となったヨガとあまり知られていないナワラトゥナ(ナヴァラトナ)についての関係性が近いことを知ってもらい、親近感を持ってもらいたいために書いたのですが...

今、読み返すと親近感を持ってもらえたのかどうか。修行が足りないなと感じるばかりです(苦笑)。

 

 

そこで、今回は数年ナワラトゥナ(ナヴァラトナ)について考えてきたことで、自分の中で整理ができて来たことも含めて、ヨガとナワラトゥナ(ナヴァラトナ)について綴ってみたいと思います。

 

 

 

 

まず、ヨガは、自我の認識への実践的な到達方法です。

 

ヨガで鍛錬することで心と身体を浄化し、悟りを得る機会(忘我の状態であるサマディ)への手段であり、そうすることで心と身体が日常生活という幻影(マーヤ)の下に眠っている絶対的な本質を体感できるとされています。

ヨガはヴェーダ哲学の中で最も有名なもののひとつですが、現在では日本でもとてもポピュラーであるように、世界中の様々な人々に実践されています。

ヨガは精神の発達を促す方法であり、身体の鍛錬が自我意識に影響し、意識を集中させることで心身を統一し、自我への認識へと到達させる古代インドの科学なのです。

 

 

 

では、私たちの自我とは、何なのでしょう。

自我とは、私たちがほとんど無意識に行ってきていること、本能的な事だと言われています。

自我が行うことは主に自己の防衛になりますが、これは周囲の人間関係を含む環境に圧倒的に左右される事が多いものです。

 

 

この世は、人間が作り出した価値のあるもの、富や財産、エゴイズム、嫉妬、優越などの、マーヤと呼ばれる幻影が環境に溢れていて、自我を認識してもそれを維持していくのは難しいと言われています。

 

そこでヨガを繰り返し行うことによって、心と身体の統一を維持していく鋭敏な身体を作り上げるのです。

 

クンダリーニ・ヨガは超越的な神性力が宿るとされる頭の頂点のエネルギーセンターへ、内在する女性的な力が、蛇が上がっていくようにイメージすることによって、鍛えられた鋭敏な身体の中でシヴァ神とシャクティ「性的能力(性力)」を結合させることを目的とします。

ラジャ・ヨガは身体をもマーヤと見なして拒絶しますが、ハタ・ヨガは、身体を魂の解放の手段として使用します。

 

 

他の言葉で言うならば、ヨガは、心と身体の統一を助け維持するためのエクササイズでもあります。

84のアーサナ(ヨガのポーズ)の組み合わせを通して、身体を鍛えることにより、心身統一の維持が達成されていきます。

 

 

 

では、ヨガで得られる悟り、体感する絶対的な本質とは何なのでしょう。

 

これを簡潔な言葉にすることは難しいのですが、私の言葉で言えば、私たちは「この宇宙の子」である。ということになります。

 

 

 

84のアーサナで、地球上に住む様々な生きとし生けるもののポーズをとる時。

蓮の花のアーサナで、この世界である宇宙が生まれた時の音(オーム)を響かせ共鳴させる時。

 

このヨガのひとつひとつが、私たちとこの宇宙とをリンクさせ、マーヤに溢れた日常から、本質であるこの広い世界である宇宙へと誘っているのです。

 

 

 

 

ヨガとナワラトゥナ(ナヴァラトナ)は、人の本質は宇宙の1つの構成員であることを同じように指しているのです。

ヨガで心と身体の統一を維持していく鋭敏な身体を作り上げることは、ナワラトゥナ(ナヴァラトナ)を身に着けることと同意義になるのかもしれません。

 

 

人はそれぞれとても小さな宇宙の1個体であり、とても重要な宇宙の1個体なのです。

 

 

 

ヨガ、ナワラトゥナ(ナヴァラトナ)、アーユルヴェーダも然りなのですが、古代インドのヴェーダ哲学では、様々な方向からのアプローチで、人の状態を本質的な宇宙であるこの広い世界へと何とか戻そうとすることによって、人々に起こる異変(病気や不幸)を鎮めようとしてきました。

そうして到達した本質へと導く様々なアプローチ方法は、たくさんの文献を見られる現代の私たちでも到底到達できそうもないほどの真理で溢れており、手探りであったはずの古代の人々が創造したとは思えないような素晴らしい発明で、とても神秘的なものです。

 

 

 

シンプルで習いやすい身体を使ったヨガは、エクササイズとして、日常におけるあなたの存在を違ったものにしてくれるかもしれません。

身体に重さを感じていれば、ヨガによって身体の軽さを感じるようになり、同時に怒りやエゴのようなマイナス的な性質の感情をよりコントロールしやすくなったとも感じるでしょう。

 

ナワラトゥナ(ナヴァラトナ)は身に着けて9つの宝石を通して光が身体に入ることで、ヨガと同じように私たちを宇宙の子らとして悟らせることで、マイナス的な性質の感情をよりコントロールしやすくしたり、自分の存在を宇宙の絶対的な一個体として意識できるようになるのだと考えています。

 

 

 

それは幸せに生きる力を得ることであり、自分を強く持ち、自信をつけることになるのではないでしょうか。

 

 

 

 

私たち一人一人が小宇宙(ミクロコスモス)のひとつであるように、宇宙もまた同じような様相を合わせ持っている。

 

宇宙は私たちと繋がっているということ。

 

 

 

 

 

ヨガをすることも、ナワラトゥナ(ナヴァラトナ)を身に着けることも、様々な個性を持った個である私たちが健やかに生きるための、この宇宙のお守り。

そしてこれらは人が生きるための叡智の結晶なのだと考えています。

 

 

 

 

 

 

 

chie

 

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