カルマ 〜自分で蒔いた種〜

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こんにちは、Nityaニティア・スタッフのchieです。

 

 

 

すっかり秋らしくなって来た今日この頃。

Go toで旅行なども解禁されて、少しづつではありますが、日常がコロナの重苦しさから解放されて来ているように感じています。

with コロナという言葉通りに、私たちは様々な物事に順応しながら、軽やかに生きたいものです。

 

皆さんはどのように感じているでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

さて今回は、「カルマ」について綴ってみたいと思います。

 

ごくたまに、お客さまからのご質問の中に「カルマ」という言葉が入っていることがあるのですが、日本はインドから伝来して来た仏教があるので「カルマ」という言葉については知っている方も多いですよね。

 

 

カルマとは、もともとはヒンドゥー教で魂の転生が信じられていたことから始まっている概念です。
※仏教はヒンドゥー教から派生した宗教です。

 

 

魂の転生が信じられているので、前世・現世・後世があるということが前提となっていて、前世の行いが現世の人生に反映されるという考え方が、元々の「カルマ」の本意となります。

ヒンドゥー教の人々は、魂の転生や死後の世界を盲目的に信じており、死後にどのように生まれ変われるかは現在の生活での行いにかかっていると考えます。

そして前世での行いをカルマと呼ぶのです。

 

 

前世・現世・後世がある限り、ヒンドゥー教徒にとって死とは、肉体を洋服を着替えるように脱ぎ去っていくもの。なのだとか。

魂が肉体という身体を替える時に死が訪れる。という方が分かりやすいかもしれません。

 

 

そんな考え方を持つ「死」と「転生」なのですが、人間として転生するのには、5200万回も転生が必要なのだとか...

人間として転生するのには、地球上の様々な生き物に転生する必要があるようです...

 

 

 

お話が逸れましたが、カルマについては、インドの神話的叙事詩であるマハーバーラタにこんなエピソードがあります。

 

戦いの前夜、パンダヴァ兄弟という5人兄弟の中でも一番勇敢な戦士アルジュナは、敵が自分たちの従兄弟である事で、本当に戦うべきなのかどうかを決めかねていました。

その時、アルジュナの戦車の御者(馬を操縦する者)をするつもりだったクリシュナは、アルジュナにどうあるべきかを説いたのだとか。

 

 

そうしてクリシュナはアルジュナに、「あなたの善行こそが自分自身の宗教そのものになっていく」と説いたのだそうです。

 

 

この出来事は大変有名で、カルマを考えて現世での行動をどのようにしたら良いかという事が信条となっていく様をヒンドゥー教徒の人々は「カルマがダルマ(法や秩序)を生み出す」と呼んでいます。

 

 

またこれは転生への恐れであったり惰性やあきらめといったことではなく、輪廻転生から抜け出して、モークシャ(解脱)と言われる永遠の幸福である自我と至高の魂の融合やニルヴァーナ(涅槃・ねはん)を目指してのことなのだとか...

 

 

モークシャやニルヴァーナについては説明が難しいので、ここで解説はしませんが、転生しているようでは人生での修行が足りない。という事なのですね...。

 

 

ヒンドゥー教以外でも東洋の思想では、この世はマーヤと呼ばれる幻にあふれていて、永遠の真理にたどり着き輪廻転生の輪から抜け出すのはとても難しいことだとされています。

 

マーヤは、富や財産、エゴイズムや嫉妬、人間の作り上げる関係性が誘惑の罠をはる世界のこと。

 

 

生きることの修行が足りなければ、輪廻転生は続き、カルマも続いていく。

日本では、カルマは悪いことが起きた時に使われる事が多いようですが、カルマに良いや悪いといったことはありません。カルマは、この世の生において何かが未完のままであっても、次の世で完了する機会が与えられるという事でもあるのです。

 

 

 

 

カルマや輪廻転生の概念について、信じるや信じないは人それぞれ。

 

そもそも正しい行いという事自体が何を持って正しいのか。立ち位置の違いもあり、判別が難しいと思う事が多々ある昨今です。

 

 

 

 

 

カルマとは何なのでしょう。

 

私は人類の生きるための叡智であると感じています。

 

 

 

 

 

chie